結婚

09/10/2003

 このページももう二年ばかりほっぽらかしにしてきた。その間にいろいろあった。ペルージャで違法労働を半年ばかりし、こき使われたあげくに首になったり、僕がイタリアにいる間に祖母が亡くなったり、実家の犬が死んだり、悲しいことが幾つもあった。いいこともあった。某旅行ガイド2003年版の取材グループに加わって、二度と行くことのあるまいお金持ちのリゾート・カプリ島などにも行ったし、三日でやっつけた絵本の翻訳で、板橋区から国際翻訳大賞の賞金を頂いたり、興味本位で始めた「反戦の手紙」の翻訳もどうやら本になりそうだ。多くの素晴らしい人々にも出会った。そうだ、たぶんいいことの方が多かったに違いない。
 そして、2003年9月の20日。

飯田 亮介とエマヌエラ・ロッキーは、ついに結婚しました!

そう、極め付けにいいことがおきてしまった。
と、ここまで書いたところで、「『めでたいこと』ではあっても、『いいこと』か『わるいこと』かは、まだわからないぜぇ」という声が自分の中から聞こえてきた。まったく、呆れるくらいシニカルなヒネクレ者だ。
 これからが、勝負である。僕にはまだ定職もない、結婚することでようやく今、イタリアで仕事が出来る身分になったのだ。この結婚を真に「極め付けのいいこと」にするのは、これからなのだ。
 結婚式はものすごく楽しかった。もう一度おなじことが出来るならば、一度離婚したいくらいである。日本からは、両親と妹、大学の友人、台湾からも大学の友人夫婦とその息子(一歳半)、イタリア各地からのペルージャ外国人大学時代の友人たち、ベネチア滞在時代のエマヌエラとの共通の友人たち、村の友人たち、、、、じつにさまざまなメンツがそろった。
  人口1110人の村にとっても一大イベントであった。宣伝もしていないのに、村の人々が結婚式がおこなわれる村役場に集まっていて、僕たちは数百人の観衆に迎えられることになった。後で聞いた話によれば、白い紋付き袴を着た僕を遠めに見て、花嫁と勘違いした人々もいたらしい。イタリアでは白はウエディングドレスの色であり、男は黒を着るものなのだ。
 花嫁は当然、美しかった。多分、誰が見ても、やはり美しかったと思う。一方で僕のKIMONO(発音はキィモーノ、イタリア語である)姿も大受けで、「一緒に写真撮らせろ、握手しろ、キスしてぇ〜」と、何だか急にスターになってしまった僕は、母が式の後で涙を見せたことにすら気づかぬくらい、有頂天であった。

参加してくださったみなさん、本当にありがとう。この場を借りて、お礼を申し上げます。  

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