モントットーネ村から

第6号 年賀ハガキにかえまして…

2004年1月10日

おくればせながら、
新年あけまして
おめでとうございます
今年もどうぞ、
よろしくお願いいたします。

 「モントットーネ村から」2004年度第一号は、日本から送ることになってしまいました。この号から購読を始められた方は、イタリア発のメールマガジンを楽しみにされていたかもしれませんね(下方のリンクからバックナンバーをお楽しみ下さい)。実は、この一ヶ月は私、飯田亮介は日本で単身赴任なのです。そんなわけで、二月の頭ごろまでは日本からの発行となりますが、クリスマス休暇を終えてひとりイタリアに帰って行った妻の着物姿に免じてお許し下さい。改めて見ると、後ろで頭を下げているわたしの姿は、新年のごあいさつというよりは、「反省」のポーズを決める猿のようにも見えてきますね。ああ、そう言えば今年は申(さる)年ではないですか……
 妻ははじめての日本の年末年始をたいへん楽しんで帰りました。一応、カトリックの彼女ではありますが、初詣でには神社で鈴をならし、教えた通りに、かしわ手をうっておりました。なにを願ったのかは唯一の神Dio(ディオ)ならぬ、八百万(やおよろず)の神々のみぞ知るです。モントットーネ村の教会の神父さんが見たら、眼をまるくして、怒り にふるえたかもしれません。彼は少々「寛容さ」にかけたこまった神父さんでして、どうにかして私に洗礼を受けさせようとしている気配が濃厚です。「イタリアに暮らす外国人は、やっぱりカトリックにならなきゃ駄目だ」と言われたことがあります。そのくせ、祭りで村人たちの先頭に立ち詠唱しながら練り歩く時などは、「わたしたちは自分たちと異なるものを受け入れることを知っている。アーメン」などと拡声器で声をはりあげるのですから…… 仮にカトリックになるとしても、私にだって、洗礼を授けてくれる人を選ぶ権利はあります。キリストにしても、彼の洗礼者にあうまでは、だいぶ長い道のりを歩いたように記憶しています。

 今年は、よい年にしたいものですね。
「反省だけなら、サルにもできる」というコピーがありましたが、実際、ヒトが過去の反省からなにかを学ぼうとするならば、世の中もうすこし平和なはずです。「反省せぬから、サルにもなれぬ」一一ヒトよりサルのほうが何だか偉いような気さえする、そんな年明けです。
 よい年を、ぜひ。


日本の実家にて
飯田 亮介


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