モントットーネ村から 第13号 テルツァーニ氏の訃報 2004年7月29日 私が訳し、以前にメールニュースでも紹介させて頂いたことのある「反戦の手紙」の原作者・テルツァーニ氏がガンのため、7月29日亡くなりました。
非常に残念です。
かつてミヒャエル・エンデが亡くなった時にも、やはりそう思いました。 悲しいことです。ですが、この三月にテルツァーニ氏本人から送られてきた(写真上↑)彼の最後の作品『Un altro giro di giostra・メリーゴーランドのさらなる一周』を読んだ私には、未知の世界へとまた新たな旅に出るような気持ちで彼は穏やかに死を受け入れたにちがいないとの確信があります。
彼の旅の幸運を祈りたいと思います。
以下にRaiNews24のホームページからの特集記事の訳を掲載いたします。 一九三八年フィレンツエ生まれ。一九七一年からドイツ「デル・シュピーゲル誌」のアジア特派員。シンガポール・香港・北京・東京・バンコクで暮らし、一九九四年から妻のアンジェラ・スタウデ(作家)と二人の子供とともにインドに住んできた。アジア大陸の深い識者であり、国際的に高い評価を受けた高名なイタリア人ジャーナリストの一人であった。 「私にとっては、毎日がメリーゴーランドのさらなる一周なんだ」 ティツィアーノ・テルツァーニはそんな風に言っていた。彼の人生の新たな一日一日を、もう何度目になるか分からない、さらなる経験と知識を得るための機会であると語りながら。七月二十八日がそんな一日の最後となった。この知らせを妻アンジェラは次のような言葉で知らせてくれた「オルシーニャ村の谷でテルツァーニは穏やかに逝きました……もしくは、彼が好んだ言い方をすれば、その肉体を去りました」 この出来事は、まさに彼の最期の作品(『メリーゴーランドのさらなる一周』)のなかで、この上なく穏やかで深い形で予告されていたものだ。彼の人生のなかで最も深く神秘的な旅を語り、最も困難なルポルタージュ、自分自身の内面世界のルポルタージュを記すためのこの本の執筆作業は、まるで終わりを知らぬかのような推敲の繰り返しであった。 作品を未完成で遺してしまうことへの恐れから、テルツァーニは仕事に熱中した。書き記された形での自分の最期の物語が終わってしまうことへの恐れから、彼は際限なく読み返し、書き直しつづけた。最後に、テルツァーニの人生とその旅の多くの伴侶であったアンジェラ・スタウデが彼を説得し、原稿の三分の一以上を省かせた。
ヒマラヤ山中の彼の孤独な隠遁場所であった家から9・11テロ直後に記された『反戦の手紙』もまた、ガンに罹っていることを知った六年前からの(最新作に記された)彼の経験に照らし合わせれば、世界の出来事・人類の争いとその不幸を通常とはまったく異なった視点から見る者の証言として、そして、真の心の平安を得ることを知った者の証言として読むことが出来る。 モントットーネより |
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